空気を読むことが目的化してませんか?「それ用の言葉」から「自分自身の言葉」へ

〇前回の記事↓↓でこんなことを書きました。
理想のカウンセリングとは、何気ない会話の中で何気なく進行し、何気なく終わるようなものだと思う。

私がクライアントだったら、「今からカウンセリングをします」という態度をされると力んでしまう気がしますし、なんとなく「用意された言葉」というか、それっぽいことを無意識に話してしまって、本音を話せないような気がするんですよね。

 

街頭でインタビューに答えている素人の方を見ると、明らかに「こう答えておけば間違いないんでしょ」という感じで答えている方が多く、そういうのを見ると「本気で思ってもないことを、よくこんなに真顔で話せるもんだな・・」と反射的に鳥肌が立ってしまうんですが・・

 

この感覚、なんとなく伝わるでしょうか・・

 

つまり、わかりやすい状況を設定すると、多くの人は「それ用の言葉」で話す傾向があるわけですね。

今回はこの「それ用の言葉」について掘り下げてみたいと思います。

 

「それ用の言葉」というと何とも抽象的ですが、個人的には、「状況に合わせて現れる機械的な反応」といったニュアンスで使っています。

 

ポイントは、「それ用の言葉」はある状況に反応する形で「機械的」に現れるということです。

 

「この状況だし、こう言って(書いて)おかなきゃまずいよね・・」という態度で発せられた言葉でしかないので、当然、その言葉に本人の意思はあまり(もしくはまったく)反映されていません。

 

そういった言葉の印象は、なんとなく上滑りしているというか、嘘っぽいというか、軽いというか・・
少なくとも「真剣さ」や「誠実さ」とはかけ離れたものとなってしまいがちです。

 

しかし、残念なことに世の中には「それ用の言葉」が溢れています。

 

あらゆる社交辞令はまさに「それ用の言葉」ですし、SNSでのコメントなどにも「それ用の言葉」が至る所に見られます。

 

本人の感覚からすれば、おそらく「空気を読んで発した言葉」なのだと思いますし、極端なほど空気を読むことを強制する今の世の中では、むしろそういった態度は、ある意味「大人」だと見なされることもあるみたいです。

 

おそらく、「世間の空気を読み、その空気を乱さない人=大人」という風に思っている方が少なくないのでしょう。

 

なんとなく気持ちはわかるのですが、それって手段が目的化しているというか、本末転倒だと思うんですよね・・

空気を読むという行為は手段なのか?目的化なのか?

そもそも、なんでみんなあんなに空気を読むんでしょうか?

 

たぶんそれって、会社や地域、家族、友人グループ、趣味の集まり、ネット上の特定のグループとか、自分が所属しているコミュニティの中での信頼を獲得したかったり、必要とされたかったり、もっとシンプルに言えばみんなから好かれたいからだと思うんです。

 

つまり目的は、信頼の獲得とか、必要とされることとか、好かれることであって、空気を読むことはあくまでも「手段でしかない」んじゃないでしょうか。

 

空気を読むことが手段でしかないという仮説をもとに改めて考えてみると、「世間の空気を読み、その空気を乱さない人=大人」と考える風潮がよくわからなくなってきます・・

 

大切なのは「空気を読んだ結果」じゃないんでしょうか?
結果よりも、空気を読むという手段のほうがフォーカスされている理由が、私にはよくわかりません・・

 

仮にもし本当に、空気を読み、それを乱さない人が大人の条件なのだとしたら、「そんな大人にはなりたくない!」と尾崎豊ばりに叫びたくなるのは私だけでしょうか。

 

とはいえ・・

 

必要以上に空気を読みながら生きている方が少なくないことは私も理解しています。
もしかすると、あなたもその1人かもしれません。

 

でも、空気を読みまくった結果、何か素敵なことはありましたか?

 

周囲から信頼を獲得できたり、周囲から必要とされたり、誰かから好かれましたか?

 

かなり厳しい問いかけであることは重々承知していますが、一度じっくり考えてみてほしいと思うんです。

 

どれか1つでも「YES」があれば、手段としての空気を読むという行為が、ある程度うまくいっている証拠なのでしょう。

 

でも、もしも全部「NO」だったとしたら、空気を読むという行為自体が「目的化」してしまっているだけかもしれません・・

 

必要以上に人から嫌われることはないかもしれませんが、「人から嫌われたくない」という目的に支払う対価としては、空気を読み続ける生き方がもたらす心と身体のダメージは大き過ぎるのではないかと思います。

 

つまり、消耗するエネルギーのわりに、メリットが圧倒的に少ないということですね・・

 

実際、私の整体院にお越しになる方の中で症状が重い方は大抵、空気を読み過ぎて、いつも周囲に気を使っている方です。

 

気を使うってことは「エネルギーを使う」ってことですからね。
本当に疲れちゃうんだと思います。

 

そういう方は、施術に来ても無自覚に「それ用の言葉」を使ってしまうものなんです。

 

空気を読んでそれに合わせることが当たり前になっているだけで、ご本人に全く悪気はないんですけどね。

 

そういう方にお会いすると、毎回「これまで苦しかっただろうな・・」と思いますし、そういう無自覚に空気を読み過ぎてしまうパターンを、どうにかして違う方向にリードしてあげられないだろうかと考えます。

 

そのための試みの一つが前回の記事で書いた「何気ない会話の中で何気なく進行し、何気なく終わるようなカウンセリング」です。

 

カウンセリングがうまくいくと、クライアントさんが語る言葉が「それ用の言葉」から、だんだん「自分自身の言葉」に変わっていくことがわかる瞬間があるんですが、それを感じた時、実は静かに感動してたりします(笑)

 

自分の言葉を語るという行為は、時に「人の心を動かす」ということなのだと思います。