プロフィール

手当て整体 菊地屋 院長
菊地勇介(きくちゆうすけ)

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1982年10月16日生まれ
てんびん座
O型
東京都北区十条生まれ
十条銀座が有名
既婚
2017年の4月に娘が産まれ、父親になりました。

22歳の頃から、頭寒足熱・冷えとり療法の指導、婦人科系の病気で実績のある吉祥寺中欧・理学気功院にて修行を始める。

異例のスピードで臨床の現場、研修生の指導を任され、副院長となる。

2012年の年末に菊地屋を開院し独立。

現在もオリジナルのスタイル、独特の理念を活かした施術活動を展開、日々患者と向き合っている。
キャリアは13年以上になる。

趣味

読書、歌をうたうこと、少しでもラクに生きるためのコツを考えること、アニメやマンガ、映画鑑賞、友人や家族と楽しく話す(飲む)こと。

これまでに鑑賞したアニメ

3つのブログを書いています

菊地屋のブログ
趣味の話やふと思ったこと。菊地屋の理念や方針についての記事。

婦人科系の病気と、共に生きていくために
婦人病を中心とした、さまざまな症状を改善するためのセルフケアの方法や、病気や身体の知識など、「身体面」からライフスタイルを変えていく方法についての記事。

自分を壊し、自分で選ぶ、ていねいに生きていくために
生きづらさの原因となる固定観念や偏った価値観を見直し、「精神面」からライフスタイルを変えていく方法についての記事。

施術家になるまで

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10月16日生まれ

勇介という名前は、勇気を持って生きていって欲しいという、両親の願いがこもったものらしいです。

改めて字面を見ると、「介」という字は、介抱や介助といった言葉にも使われているように、「そばに付き添って助ける」という意味があるようです。

現在、まさにその通りの仕事をしていることを考えると、名前から受ける精神的な影響は思いのほか大きいんだろうなと思います。

幼稚園

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戦隊ヒーロー、特に「フラッシュマンのグリーン」が好きだっので、よく真似をしてました。

父親がキャンプ好きだった為、東京在住の子供にしては、自然との接触が多く、よくカブトムシやクワガタをとっていました。

善悪の価値観が生まれたのもこの頃で、生まれて初めて意識してやった良い行いは、疲れて辛そうにしていた母親にチューリップの折り紙を作ってあげたことでした。
4歳くらいのことでしたけど「どうにかしてあげたい」と、子供ながらに切実に思ったのをはっきり覚えてます。

小学校

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1学年1組、男女合わせて25人しかいないクラスに入学。

人数が少なく、クラス替えもないストレスからか、男子10人の中で軽いイジメが起こってました。
(小学生くらいならよくあるレベルのものです)
それが、ローテーションのように繰り返されていて、「次は誰だろう・・」と、妙な緊張が張りつめた毎日を過ごしてました。

子どもって結構残酷ですから、大人になった今よりも間違いなく当時のほうがストレスが大きかったと思います。

そんな中、大切なことに気づく転機がありました。

軽いイジメの周期が、私に回ってきていたある日のこと。
テレビでたまたま流れていたボクシングの試合になぜか感銘を受けた私は、「明日からは、やられたら絶対にやりかえそう」と胸に誓います。

当時、どちらかと言えば気の弱かった私にとって、とても高いハードルだったのですが、勇気を出してなんとか行動に移しました。

その結果、驚くほどすぐにイジメは解消してしまって、子どもながらに「行動すれば結果は付いてくるんだ!」と感じたのを覚えています。

子どもの頃に「自分が変われば周囲も変化する」という経験ができたのは運が良かったと思います。
実際この頃から、弱気だった性格もどんどん前向きになっていきました。

中学校

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the思春期の到来です。

第二次性徴の時期で、心も身体も激変する時ですから、日々、生まれ変わっていくような新鮮で刺激的な毎日でした。

女の子を好きになって恋愛をしてみたり、この頃特有の過剰な連帯感やスクールカーストが原因で友達とぎくしゃくしたり、悪目立ちして先輩に呼び出されたり・・と。

今思うと、面倒くさいことのほうが多かった気がしますが、エネルギーが有り余っていたこの頃に、傷つきながらもコミュニケーション力を鍛えられたことは大きな糧になっている気がします。

また、中2の誕生日に、父親が気まぐれでギターを買ってきたこと。
これもひとつの転機でした。

元々、歌うことが大好きだった私は、すぐにのめり込み、尾崎豊の「Ilove you」を猛練習します。
(完全にモテたかったんでしょう)

その後、すぐにオリジナルの楽曲を作り始めました。

「絶対プロになれる!」と、ステキな勘違いをしながら、3年生からは駅前でストリートミュージシャンの真似事もしていました。
1度だけ太っ腹なお兄さんから1万円のおひねりをもらったことがありますが、あの時は本当にうれしかったですね。

高校

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高校に入ったら、「自分の可能性を試せることは何でもチャレンジしてみよう!」と、初めから決めていました。

その当時の私は、可能性を広げるなら目立つに越したことはないだろうと考え、とにかく何にでも首を突っ込むようにしていました。

高校生らしく見た目が派手になっていくのはもちろん、3年間全ての文化祭に弾き語りやバンドで参加したり、修学旅行のしおりに生徒代表として作文を書いたりと、ここに書ききれないほど、とにかくやれることはやるようにしていました。

一番の思い出は、卒業式の夜、六本木のクラブを貸し切って行った卒業イベントです。

この時は、代表をやらせてもらい、フロアでどんな曲をかけるか、機材はどの業者に借りるか、スケジュール調整やお金の管理などを友達と協力しながら進めていきました。

その結果、全学年から150人近くが集まり、素晴らしいイベントになりました。
準備はかなり大変でしたが、大きな達成感を感じることができた貴重な体験でした。

高校時代には、やりたいことに向かって、精一杯チャレンジすることを学べた気がします。

大学 声が出ない日々(1度目)

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大学時代は、バンド漬けでした。

入学してからすぐ、インターネットや楽器屋でメンバーを募集をし、沢山の人に会いながら約1年かけてメンバーを集めました。

基本的に根が真面目な4人が集まったので、売れる為にはストイックでなければ!と、最初から割とハードなバンド活動になりました。

多い時には、月4回のライブをやりながら、その間に週2のリハーサル。
それ以外にも、ライブやリハーサル代を稼ぐために週2で深夜のコンビニバイト。

学校はあまり行かなかったんですが、たまに授業に出ても、四六時中、歌詞とメロディーのことばかり考えてたので、4年の時点で単位が50近く残ってました・・
普通なら完全に留年コースです。

なんとか卒業はしましたが、周囲からは奇跡的だと言われました。
何でもやればできるものです・・

さて、バンドの話に戻ります。

精力的な活動のおかげか、新人若手バンドとしては、多少注目してもらっていたようです。たぶん・・。

少しずついろんなイベントに呼ばれるようになり、名前も覚えてもらえるようになり、それなりに順調なペースで活動の幅を広げていきました。

そんな矢先、大きな問題が発生しました。

それは、ライブが2日間続き、2枚目の自主制作アルバムの録音に入った時期のことでした。

なぜか突然、声が出なくなったんです。

正確に言えば、あるキー以上の高音がまったく出なくなりました。

その日は、寝れば治るだろうとたかをくくっていたんですが、次の日も、また次の日も一向に症状が良くなりません。

2本のライブを控え焦っていた私は、近所の耳鼻咽喉科に行きました。

しかし、原因が分からないと言われ、不安に駆られながらもプロのミュージシャンも通う有名な病院を紹介してもらい、すぐに通院しました。

診察の結果、喉を酷使し続けたための炎症ということで、声を出す機会を最低限に減らせば、2~3週間で良くなるというお話でした。

ほっと胸をなで下ろしながら、「少し休めば復帰できる!」と、安心したのを覚えています。

しかし、人生何が起こるか分からないものです。

私の喉が元の状態になり歌えるようになったのは、それから「約2年」経ってからでした・・

なかなか、キツい2年間でした。

医者には、普通ならもう歌えるはずなのに「原因が分からない」と言われ、病院からもだんだんと足が遠のいていきました。

完治を急ぎ神経質になってしまったためか、気付つくと普段しゃべる時の声さえも、ままならなくなっていました。
いつもひそひそ声で話しているような状態になってしまったんです。

一生懸命会話しようとしても、「えっ?なに?」と聞き返されることが多かったので、会話すること自体が煩わしくなり、自然に人とも会わないようになっていきました。

街中で流れてる音楽が耳に入ってくるのも嫌だったので、学校やバイト以外は、極力外出は控え、家に引きこもる時間が増えていきました。

一番好きなだったことを失ったストレスは、当然のように身体にも現れ、顔色も悪くなり、一時、髪も抜けてました。
今思えば、軽いうつ状態だったのだと思います。

これから、どうやって生きていこうか、ただただ迷走するしかありませんでした。

その後、結局バンドは解散。

プロのミュージシャンを目指すこともキッパリあきらめることにしました。

あきらめることを決断した日、私の頭に五木寛之さんの言葉が浮かんだのを覚えています。

それは、あきらめるという言葉は、「明らかに究める」からきているというものです。

五木さんは、明らかに究めるくらい、何かに打ち込んだ後の判断であれば、それは逃げたわけではなく、あくまでも「あきらめた」ことになる。

だからこそ、自分なりにやり切った!と思うのであれば、人はどんどん物事をあきらめて、次のチャンスを探るべきだというようなことを、著書の中で書いていました。

最高のタイミングで、最高の言葉と出会えたと思いました。

こうして私は、五木さんの言葉に励まされながら、中学生から抱いていた夢をあきらめることを決めました。

不思議なもので、決断をした後は、身も心も楽になり、声もどんどん出るようになっていきました。

振り返ってみれば、おそらくいろいろなバンドと接する中で、「自分の実力では歌で食べていくことはできない」ということに、無意識レベルでは、途中から気付いていたのだと思います。

とはいえ、「人間は自分の心を守るためなら、いくらでも見て見ないふりができる」生き物ですからね。
なかなか自分の実力のなさを認めることはできなかったわけです。

当時の私は、プロにはなれないことをうすうす気づいている潜在意識と、バンドで成功しなければ!という夢に縛られている顕在意識に分断され、かなり不安定な状態になっていたのでしょう。

だからこそ私の心は、歌えなくなるという病気を生み出し、その病気によって潜在意識と顕在意識の帳尻を合わせようとしたのだと思います。

「疾病利得」とは、簡単に言えば病気になることで得られるメリットのことですが、おそらく私も、原因不明の病気によって歌えなくなることで、「もう一度バンドでプロを目指し、自分の実力がないことを思い知らされずに済む」というメリットを無意識的に感じていたのだと思います。

それは、プロをあきらめた途端、普通に会話することができるようになり、歌も歌えるようになったことが、何よりも証明しています。

バンドで食べていくという目標をあきらめたことで、病気が必要なくなったのでしょうね。

ということで、なかなか波乱万丈な大学時代でしたが、今まで大きな病気をしたことが無かった私にとって、この時の経験は、クライアントさんの苦しみを想像する上で貴重なものとなっています。

卒業後

卒業後、契約社員としてある会社で働きながら、次に熱中できるものを探していました。

主に本を読むことで探していたので、本格的に読書癖がついたのはこの頃です。
いろいろな本を乱読していたある日、ふと自分が東洋哲学の考え方に惹かれていることに気付きました。

特に「気」という概念は、私にとって、とても「しっくりくる」ものでした。
なぜなら、気は、目に見えないのに、何故か人間に大きな影響を与えるという点でとても音楽的なものに感じたからです。

なんとなく「これだ!」という手応えがありました。

一時、音楽を聴くことが苦痛でしかなく避けていた私ですが、施術家になった理由が、気を「音楽的だと感じたから・・」というものだったんですから、何とも皮肉なものです。

また、「声が出せない」「歌えない」という日々を経験したことも、施術家を志すきっかけになっていると思います。

プロの医師にも原因が分からないとさじを投げられ、誰にも相談できなかった頃の孤独感が私の心の底にあるからこそ、悩みを抱えている人たちと関わるような仕事をしてみようと思い立ったような気がします。

ということで、とても長くなりましたが、このような経緯を経て、私は施術家としてのキャリアをスタートさせたのです。

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