子宮や卵巣が病気になりやすい原因・みんな知らない目からウロコの仮説

あなたの価値観を揺さぶる。菊地屋が考える子宮や卵巣の病気が病気になりやすい根本的な原因について

 

世の中には、子宮や卵巣の病気でお悩みの方がとてもたくさんいらっしゃいます。

そもそも、なんでこんなに子宮や卵巣という臓器は病気になりやすいのでしょう?

その理由について、「生命エネルギー(氣)」というキーワードを軸に、菊地屋の仮説をお伝えしたいと思います。

生命エネルギー(氣)とは

人が生きていくためには生命エネルギーが必要です。

これは目には見えないエネルギーですが、東洋医学ではそれを「氣」と呼び、とても重視しています。

病気はもちろん、気力の低下、運気の悪さなどにも、氣の不足や滞りが関係していると考えられています。

潜在意識の働きによって、生命エネルギーが供給されづらい部位が出てくる

現代人の多くは、ストレスや冷え、生活習慣の乱れなどから、生命エネルギーが慢性的に不足気味になってしまっているようです。

その状態が慢性化すると、潜在意識は生命を維持するために、エネルギーの分配方法を最適化しようとします。

具体的には、命に関わるような重要な臓器や機能に対して、生命エネルギーを優先的に回すことで、全体のバランスを取り、ダメージを最小限に抑えようとするわけです。

つまり「省エネモード」みたいなものですね。

老化現象について考えてみると、さらにイメージしやすくなるかもしれません。

一般的に老化が進むプロセスは、生命維持には直接関係ない肌や毛髪、爪や歯、目や耳、筋肉など末端の部位から進んでいきます。

老化によってだんだん生命エネルギーが減少していくと、どうしてもエネルギーを回せない部位が出てきてしまうわけですね。

年齢的に老化とはほど遠い若い世代であっても、生命エネルギーが慢性的に不足した状態が続くと、これと似たような現象が起きる可能性があるのです。

子宮や卵巣はあなたを守るために病気を引き受けてくれたのかもしれません

慢性的に生命エネルギーが少ない状態が続くと、生命を維持するため、強制的に省エネモードになり、エネルギーが届きづらい部位が出てきてしまいます。

では、その部位はどんな風に決まっていくのでしょう。

おそらく間違いないのは、生命維持とは直接関係ない部位からエネルギーのカットがはじまるということです。

これは直感的にも納得しやすい話だと思います。

いきなり命に関わるような脳や心臓の機能が低下してしまうよりは、お肌が荒れたり、髪が細くなったほうが全然マシですからね。

そしてどうやら子宮や卵巣は、比較的早い段階で、エネルギー削減の対象とされてしまうようなのです。

その理由は、子宮と卵巣は、仮に手術で全摘出したとしても、ある程度ふつうに生きられる臓器だからです。

極端な話、摘出してもなんとか生きていける臓器の機能が落ちたり、そこに良性の腫瘍ができたとしても、命が脅かされるような状況になる可能性は相当低いはずです。

それは裏を返すと、懐が深い子宮や卵巣が問題を引き受けてくれたおかげで、さらに重要な臓器や機能が守られていると考えることもできるのではないでしょうか。

自分にやさしい子宮や卵巣の病気との向き合い方

これまでの話の流れをまとめるとこんな感じになります。

MEMO
  • 慢性的に生命エネルギー(氣)が不足した状態が続く
  • 十分にエネルギーを供給できない部分が出てくる
  • そして、機能が低下したり病気になったとしても、生命維持の観点から比較的安全な子宮や卵巣が自ら犠牲になることで、全体のバランスを取ろうとしてくれる

もしかするとあなたの子宮や卵巣の病気も、あなたの命を守ろうとする潜在意識的な愛によって生み出されたものかもしれませんね。

そういった俯瞰的でやさしい視点に立ってみると、子宮や卵巣の病気を敵視したり、患部の大きさにこだわりすぎることは、本質的な問題解決とはいえないことがわかってくるはずです。

なぜなら問題の本質は、慢性的に生命エネルギーが不足してしまうようなライフスタイルにあるからです。

そのライフスタイルを見直していかないかぎり、仮に患部を手術で一時的に切除したとしても、時間の問題でまた子宮や卵巣への生命エネルギーの供給が削減されてしまい、問題を繰り返してしまう可能性が高いのではないでしょうか。

実際、婦人科系の病気に「再発が多い」ことが、それを物語っているように感じます。

ですので、子宮や卵巣の病気と真正面から向き合っていくためには、少しずつライフスタイルを見直しつつ、子宮や卵巣にも十分に生命エネルギーを供給できる状況を作ってあげることが本質的な問題解決につながっていくのではないかと思っています。

そして何よりそれが、最もやさしい「病気=自分自身」との向き合い方といえるのではないかと考えています。