大学 声が出ない日々(1度目)
大学時代は、バンド漬けでした。
入学してからすぐ、インターネットや楽器屋でメンバーを募集をし、沢山の人に会いながら約1年かけてメンバーを集めました。
基本的に根が真面目な4人が集まったので、売れる為にはストイックでなければ!と、最初からわりとハードなバンド活動になりました。
多い時には、月4回のライブをやりながら、その間に週2のリハーサル。
それ以外にも、ライブやリハーサル代を稼ぐために週2で深夜のコンビニバイト。
学校はあまり行かなかったんですが、たまに授業に出ても、四六時中、歌詞とメロディーのことばかり考えてたので、4年の時点で単位が50近く残ってました・・
普通なら完全に留年コースです。
なんとか卒業はしましたが、周囲からは奇跡的だと言われました。
何でもやればできるものです・・
さて、バンドの話に戻ります。
精力的な活動のおかげか、新人若手バンドとしては、多少注目してもらっていたようです。たぶん・・。
少しずついろんなイベントに呼ばれるようになり、名前も覚えてもらえるようになり、それなりに順調なペースで活動の幅を広げていきました。
そんな矢先、大きな問題が発生しました。
それは、ライブが2日間続き、2枚目の自主制作アルバムの録音に入った時期のことでした。
なぜか突然、声が出なくなったんです。
正確に言えば、あるキー以上の高音がまったく出なくなりました。
その日は、寝れば治るだろうとたかをくくっていたんですが、次の日も、また次の日も一向に症状が良くなりません。
2本のライブを控え焦っていた私は、近所の耳鼻咽喉科に行きました。
しかし、原因が分からないと言われ、不安に駆られながらもプロのミュージシャンも通う有名な病院を紹介してもらい、すぐに通院しました。
診察の結果、喉を酷使し続けたための炎症ということで、声を出す機会を最低限に減らせば、2~3週間で良くなるというお話でした。
ほっと胸をなで下ろしながら、「少し休めば復帰できる!」と、安心したのを覚えています。
しかし、人生何が起こるか分からないものです。
私の喉が元の状態になり歌えるようになったのは、それから「約2年」経ってからでした・・
なかなか、キツい2年間でした。
医者には、普通ならもう歌えるはずなのに「原因が分からない」と言われ、病院からもだんだんと足が遠のいていきました。
完治を急ぎ、過剰に神経質になってしまったことのストレスからか、気付けば普段しゃべる時の声さえも、ままならなくなっていました。
いつもひそひそ声で話しているような状態になってしまったんです。
一生懸命会話しようとしても、「えっ?なに?」と聞き返されることが多かったので、会話すること自体が煩わしくなり、自然と人とも会わないようになっていきました。
街中で流れてる音楽が耳に入ってくるのも嫌だったので、学校やバイト以外は、極力外出は控え、家に引きこもる時間が増えていきました。
一番好きなだったことを失ったストレスは、当然のように身体にも現れ、顔色も悪くなり、一時、髪も抜けてました。
今思えば、軽いうつ状態だったのだと思います。
これから、どうやって生きていこうか、ただただ迷走するしかありませんでした。
その後、結局バンドは解散。
プロのミュージシャンを目指すこともキッパリあきらめることにしました。
あきらめることを決断した日、私の頭に五木寛之さんの言葉が浮かんだのを覚えています。
それは、あきらめるという言葉は、「明らかに究める」からきているというものです。
五木さんは、明らかに究めるくらい、何かに打ち込んだ後の判断であれば、それは逃げたわけではなく、あくまでも「あきらめた」ことになる。
だからこそ、自分なりにやり切った!と思うのであれば、人はどんどん物事をあきらめて、次のチャンスを探るべきだというようなことを、著書の中で書いていました。
最高のタイミングで、最高の言葉と出会えたと思いました。
こうして私は、五木さんの言葉に励まされながら、中学生から抱いていた夢をあきらめることを決めました。
不思議なもので、決断をした後は、身も心も楽になり、声もどんどん出るようになっていきました。
振り返ってみれば、おそらくいろいろなバンドと接する中で、「自分の実力では歌で食べていくことはできない」ということに、無意識レベルではとっくに気付いていたのでしょう。
ただ、「人間は自分の心を守るためなら、いくらでも見て見ないふりができる生き物」ですから、なかなか自分の実力のなさを認めることができなかったのだと思います。
当時の私の精神は、自分の実力ではプロにはなれないことに気づいている潜在意識と、バンドで成功しなければ!という夢に縛られている顕在意識に分断され、かなり不安定な状態になっていたのでしょう。
だからこそ私の心は、歌えなくなるという病気を生み出し、その病気によって潜在意識と顕在意識の帳尻を合わせようとしたのだと思います。
原因不明の病気によって歌えなくなってしまえば、本当は無理だとわかりながらもバンドでプロを目指さなければならない苦痛や、自分の実力の無さを認めなければならない苦痛から一時的に逃げることができますからね。
それは、プロをあきらめた途端、普通に会話することができるようになり、歌も歌えるようになったことが、何よりも証明しています。
バンドで食べていくという目標をあきらめたことで、自分の心を守るために生み出された病気が必要なくなったのでしょうね。
ということで、なかなか波乱万丈な大学時代でしたが、今まで大きな病気をしたことが無かった私にとって、この時の経験は、クライアントさんの苦しみを想像する上で貴重なものとなっています。
まさかの二度目、声が出ない日々
まさか二度目があるとは思いませんでしたが、大学時代に続いて、実は2008年の中旬から、翌年の春頃まで、声が出なくなってしまった時期があります。
二度の経験に共通していた点は、症状が起こるキッカケにも、症状が改善するキッカケにも、精神面が深く関係しているということです。
菊地屋では、心が身体に与える影響はとても大きいと考えていますが、そう考えるようになった背景には、私自身のこういった体験があります。
声が出なくなってしまった原因として、なんとなく思い当たるのは、偏った武道の稽古と仕事のストレスです。
当時、私は、ある武道を習うために道場に通っていました。
当時は、腹筋をガチガチに緊張させる呼吸法の訓練や、自主的に、無理やり姿勢を矯正しようとした時期でもあったので、急激に身体のバランスを崩してしまったのかもしれません。
また、修行中、弟子としてのストレスも相当きつかった時期ですから、精神的な疲れも関係していたように思えます。
いろいろな要因が重なった結果、急に声が出なくなりました。
人生二度目の経験です。
正確に言えば、完全に出なくなった訳ではなく、のどから胸の辺りが緊張して、息苦しくなり、その辺りで声(息)が詰まるような感じになってしまいました。
無理やり出そうとすれば、なんとか出るんですが、まるで「お相撲さんのモノマネをする時のような声」になっていたので、誰が聞いても痛々しい声だったと思います。
そのままでは、仕事にも支障がありますし、一度目の経験から、声が出ない状態が続くストレスは知っていたので、早くどうにかしようと、改善策を講じる日々が始まりました。
毎日、毎日、自分の身体と向き合い、姿勢が悪いのかもしれない、歩き方が問題かもしれないなど。
原因を思いつくままに挙げ、片っ端から検証してきました。
その数は、何百通りにもなっていたと思います。
そのおかげで、身体感覚が鋭くなり、気功の技術に関しても目に見えて向上しました。
いわゆる、「怪我の功名」というやつですね。
これはこれで不幸中の幸いでした。
頑張りすぎは効率が悪い
元々、マイペースで、わりと楽観的な性格なので、声が出ない生活にもそれなりに順応出来ていると思っていました。
しかし、改善策を検証し、やっぱりダメだった・・という実験を繰り返す日々は、知らぬ間に少しづつ、私の精神を揺さぶっていたようです。
突然、感情が爆発してしまった出来事が二回ほどありました。
一度目は、夜中「明日は声を治すために何をしょう」と、いつものように改善策を考えていた時、布団の中で急に涙が止まらなくなってしまったんです。
自分が泣くなんて事を考えてもみなかったので、発作的なこの現象には驚きました。
ただ、このおかげで、自分のストレスを実感出来ましたし、毎日、毎日、改善策を考え、実行するのはちょっと頑張り過ぎかもしれない・・と思い、控え目にする事にしました。
頑張り過ぎは効率が悪い事に気付いた訳です。
(この時の教訓から、真面目過ぎたり、完璧主義的な面があるクライアントさんには、頑張り過ぎてスタミナ切れにならないようにアドバイスしています)
不思議なもので、これ以降、症状はだいぶ改善していきました。
もうどうでもいいや・・の先にあったもの
しかし、完全に改善した訳ではなく、まだ6割くらいの症状は残っています。
そんな状態がしばらく続いたある日、二度目の出来事が起こりました。
夜中、突然に、自己否定の気持ちが高まり、自分が嫌で嫌で仕方がなくなったんですね。
本当に急な出来事で、発作的な感じでした。
おそらく、声が出ないという現実のせいで、自信を失っている自分がどんどん嫌になっていて、そういう気持ちが限界を超えてしまったんだと思います。
私は普段、あまり感情的にならない方なんですが、この時は、自分に対して本当に腹がたっていました。
「なんで、声が出ないんだ!」
「こんなに頑張っているのに、どうして治らないんだ!」
「自分が何をしたというんだ!」
そんな怒りが湧いてきました。
そして、そんな思いが限界に達した時、私は自分でも理解しがたい行動に出たんです。
なんと、発作的にトイレを掃除し始めたんです。
それも直に素手で・・
何の用具も使わず、手一つで便器をピカピカに掃除しました。
その時は、なぜかそうしなくてはいけない衝動に駆られ、無意識にやっていたという感じです。
未だに、あの時の行動の真意はよく分かりません。
分かっているのは、掃除の後、手を洗いながら、自分のバカバカしい行動を思い出して「吹き出して笑ってしまった」という事です。
おそらく、無意識に心を守る行動だったのでしょうが、運良くそれがショック療法的な効果をもたらしました。
なぜか、その時を境に、いろんな事がどうでもよくなったというか、大した事ではないように思えてきたんです。
声が出ない事も含め、まぁ別にいいか・・と。
自分の行動に吹き出してしまったあの瞬間、何が変わったのか、何に気づいたのかはよく分かりません。
とにかく、今まで悩んでいたもの全てが、どうでもよくなってきたんです。
そして、治そう治そうという気持ちも薄れ、あきらめたような状態になりました。
この気持ちの変化を、ポジティブな表現にするならば、病気の自分を受け入れたという事になるかもしれません。
症状の改善を強く望んでいた時には全く治る気配も無かったというのに、不思議なことに、それ以降、声の調子はみるみる良くなっていきました。
正直、かなりお恥ずかしいエピソードですが、いくつかの教訓も身を持って学ぶことが出来ましたし、これはこれで良い勉強になったと思います。
二度とこんなことはごめんですが・・
声が出なくなったことで気付いた教訓のまとめ
声が出なくなったことで、身にしみて気づけた教訓をまとめておきます。
この教訓達は、今の私の精神的な支柱となっている大切なものです。
〇ネガティブな心の状態は、症状を悪化させる
〇頑張り過ぎると、精神的にスタミナがもたなくなる(効率が悪い)
〇治そう治そうと神経質になるほど、症状が悪化することがある
〇「あきらめる(明らかに究める)」という行為が、プラスに働くこともある
〇症状がある自分=ダメだと思っている自分を受け入れるようとする気持ちが、症状の改善を促すことがある